キンコン西野が泣いた日【Voicy文字起こし/西野亮廣エンタメ研究所 】

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ボイスメディアVoicyの「西野亮廣エンタメ研究所」チャンネルの文字起こしメモをしています。ほぼ写経のような感じでやっています。書き損じはご愛嬌で。

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目次

あの夜は涙が止まらなかった

今日は、僕が泣いた日のことをお話ししたいと思います。

19歳でこの世界に入って、これまで、たぶん5回ぐらい泣いているのですが、そのうちの2回について。

この2回は立て続けにあったのですが、実は、まったく同じ理由で泣いているんです。
そして、その夜の涙が僕のその後の人生を大きく変えたのですが、今日は、その夜の話をしたいと思います。

もう随分と古い話です。

19歳でこの世界に入って、20歳の頃に「はねるのトびら」という番組がスタートしました。
まだ何者でもない、芸歴1年やそこらの若造に、テレビ局や事務所が大きな期待をかけてくれていることはわかっていたので、同業者からの妬み嫉みの類を感じつつ、それを受け入れて、とにかく毎日、まわりのリクエストに応えまくったんです。

その現場現場で求められていることは何かを考えて…まぁ、未熟なもんで、結果を出せないことも何度もありましたが、それでも、毎日朝から晩までずっと走り回ったんです。

睡眠時間は1日平均2時間ほど。

僕、高校生の頃まではゴリゴリのスポーツマンで、よく食べてよく寝る奴だったので、最初は本当に辛かったです。

それでも、こんなチャンスは二度ど巡ってこないことは分かっていたので、とにかく脇目も振らず走り回った。

周りの大人が「たまには休みも必要だよ」と声をかけてくださったりして、「ありがとうございます」と返していたのですな、心の中では、「お前なんて休んでばかりじゃないか。一度でいいから、本気でやってみろよ」と思っていました。
もう、牙という牙が、自分の頬っぺたを貫いて、丸出しです(笑)

この経験値で、この立場にいるのは、やっぱり異常なことで、少しでも気を抜いたら、一気に谷底に落ちることは分かっていたので、「休む」なんて考えられなかった。

「休日」なんて何年もありません(それは、まぁ、今も変わりませんが)。
労働基準法もヘッタクレもない。

とにかく頑張ってリクエストに応えまくって、そして、応えれば応えるほど、皆、喜んでくれて、仕事も増えていって、25歳のことには番組もゴールデンに進出して、視聴率も毎週20%を超えて、そこを仕切って…「超」がつくほどの売れっ子芸人になりました。

現場に入って、その日の企画内容を聞いて、その日の方のゲストの方のブログを読み込んで、ゲストの方に興味をもった上で、ゲストの方をお招きして、本番が始まったら、とにかくゲストを立てる。。

その為の「死に役」になることに使命感を覚えていたし、それが上手くできた日の自分には満足もしていました。

そんな調子で、年間スケジュールがビッチリ埋まっていたのが25歳です。

そんな時に、何気無しに、フラッと観ちゃったものがありました。

そのうちの一つが、劇作家の後藤ひろひとサンが作られた「ひーはー!」という舞台です。

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最初から最後まで、ずっとバカをやっていて、最後に全ての伏線を回収してドカーン!と終わるのですが……終わった後、出演者が皆、歌って踊るんですね。
それも、とびっきりフザけた歌と踊りです。

もう、矢印が「お客さんを楽しませる」にしか向いていなくて、その時、自分の仕事を照らし合わせてみたのですが、よくよく考えると僕は、「お客さんが求めていること」だけじゃなくて、「スタッフさんが求めていること」や、もっというと、「スポンサーさんが求めていること」をやっていて、そこで気持ちよくなってた。
でもでも、本来僕がやりたかったのは、「お客さんを楽しませる」の一点です。

できるのならば、どこにお伺いを立てるわけでもなく、それだけをやりたい。
しかし、それを言い出したら、テレビの仕事が回らなくなるから、その気持ちにずっと蓋をしていたのですが……ところご、今、僕の目の前で、「お客さんを楽しませる」ということに100%振っている人達がいる。

立川志の輔師匠の落語もそうでした。

少なくとも、出囃子がなって、師匠が出てこられて、下げ囃子がなるまでの時間、そこには「お客さんを楽しませる」以外の想いや時間が1秒もなくて、それに比べて、僕はどうだ?
仕事としてやらなきゃいけない部分があるのは分かるけど、それが悪いことじゃないことも分かるけど……

でもでも、いろんな目を気にして、バランスを気にして、立ち振る舞うことに憧れて、この世界に入ったのか?と聞かれると、そんなことは絶対にない。

やっぱり僕はお客さんを楽しませたくて、ただそれだけの目的で、この世界に入ったんですね。

気がついたら、そこから随分離れちゃっていたなぁと思うと、もう泣けてきちゃって(笑)

後藤ひろひとサンの舞台と、志の輔師匠の落語の終演後、客席で涙が止まらなくなったんです。
「子供の時に憧れた世界はこれだった」と。

そんなことがあった3日後ぐらいに、タモリさんに呑みに連れて行ってもらって、そこで「お前は絵を描け」と言われて、今の活動に至ります。
ちょうど気持ちが揺らいでいる時に、タモリさんの言葉が入ってきたんですね。

3つぐらいの出来事が1〜2週間の間に集中したんです。

この話を皆さんがどう転用するかはわかりませんが、断言できることが一つだけあります。

僕が泣いちゃった夜、そして、タモリさんに言葉をもらった夜…その瞬間を迎えるまでの5年間、僕は誰よりも努力をしたし、リクエストにも応え続けたんです。
そして結果も出しました。

サボったことなんて1ミリもないんです。
その上で、「違った」

もしかしたら、どこかで無意識のうちに下方修正をしていたのかもしれません。

まだ、サボっていたら「頑張らないと」と思えるかもしれませんが、サボってなんかいなくて、結果も出しているのに、「違う」ということもある。

だから、たくさんいろんな世界を見て、いろんな人に触れることをオススメします。

西野亮廣(キングコング)

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プペルバス3日4日前から山形に行って参りました。

本当にもう子供達とそしてそのお父さんお母さんもねすごく喜んでいたのでご協力くださってどうもありがとうございます。

最高でした。

この活動などの続けていきたいと思います。

さて今日はですね恥ずかしいんですけれども僕が泣いた日のことをお話ししたいと思います。

19歳でこの世界に入ってこれまでね5回ぐらいに泣いてるんですよ。

なので平均するとですね四年に1回ぐらい西野はなくんですけれども。

そのうちのですね 2階実はこの2階は立て続けにあったんですけれども。

その2階についてお話ししたいと思います。

実は全く同じ理由で泣いちゃってるんですね。

そしてその涙がですね僕のその後の人生を大きく変えたので今日はその日の話をしたいと思います。

もうね随分と古い話になるんですけども僕は19歳でこの世界に入って。

まだ高卒で吉本興業の門叩いてるんで19歳でこの世界に入ってね。

二十歳の頃にですねはねるのトびらっていう番組がスタートしたんですね。

まだ何者でもない芸歴1年やそこらの若造にですねま tv局さんとかと吉本興業がですね大きな期待をかけてくれていることはもうわかってたので同業者の方からの音窓置きとかまあちょっと上の先輩とかからのですねも妬み嫉みの作品をもう一身に受けて。

もでもそれを受け入れてもとにかく毎日ですね。

現場に行き仕事現場に行きもその先々のリクエストにね答えまくったんですね。

その現場現場で求められていることはなんなのかってことをもうむちゃくちゃ考えては未熟なもんですから結果を出せ えないね。

子供などもありましたがそれも毎日朝から晩までずっと走り回ったんですね。

そういう意味ん時間は1日平均2時間ほどです。

2時間なかったかもしんないね。

僕は高校生の頃までは残りのスポーツマンでよく食べてよく寝るやつだったんで最初はねその生活ねホントつらかったんですよ。

それでもねこんなチャンスはもう二度と巡って来ないっていうことはもうわかっていたので。

明らかにやってこないじゃないか。

そんな19とか二十歳の子がさそのフジテレビの真ん中のバラエティ番組のその真ん中に立たせてもらうことってないじゃないですか。

こんなことをやってこない奪って。

とにかくですね脇目も振らず走り回ったね。

その時はですね周りの大人がですね なんだろなーますよたまには休みも必要だよーとかそういう声をかけてくださったりしてね。

ありがとうございますとか返してたけど心の中ではですねお前何で休んでばっかじゃねーか一度でいいから本気でやってみろよとかで。

誰かがですね自分のほっぺた落ちても丸出しそんなとこから出てんのみたいな。

やっぱりこの経験値で猫の立場にいるって言うのは異常なことで。

少しでも気を抜いたら一気に谷底に落ちることはわかってたんで休むなんて考えられなかったんですよ。

休日なんて何年もないですよ。

何年かも1日も休みのない生活です。

それは今も変わらないんですけどもまあ労働基準法もへったくれもないともむちゃくちゃ働くんすよ。

閣僚働くねとにかく頑張ってリクエストに答えまくって答えれば答えるほどやっぱみんな喜んでくれて。

周りの大人がむちゃくちゃ喜んでくれて仕事も増えて。

25歳の頃には番組はねるのトびらもゴールデンに進出して。

視聴率も20%を超えているわけじゃないすかね多。

分超が付くほどの売れっ子になったと思うんですね。

現場に入ってその日の企画内容を聞いてその日のゲストの方のブログを読み込んで。

ゲストの方に興味を持った上でゲストの方をお招きして。

本番が始まったらとにかくゲストを建てる。

そのための子に薬になることに今使命感覚えていたしそれがうまくできた日の自分には満足もしてたんですね。

そんな調子で年間スケジュールってのもびっちり埋まっていたのが25歳の頃ですね。

そんな時んですね何気なしにフラッと見ちゃったもんがあったんです。

なんで今でもなんでそれを見に行ったのかちょっとわかんないもそん時の気持ちはちょっと忘れたんですけども舞台見に行ったんですよ。

そのうちの一つがですね劇作家の後藤ひろひとさんが作られた日ですね。

いいですね。

最初から最後までずっとバカをやってて最後に全ての伏線を回収してと終わるんですけども終わった後エンディングでも失礼してみんなを歌って踊るんですね。

それもとびっきり歌と踊りです。

矢印がお客さんを楽しませるにしか向いてなくてその時それを見た時にですね自分の仕事と照らし合わせてみたんですけども。

よくよく考えると僕は結構お客さんが求めていることだけじゃなくてスタッフさんが求めていることや。

もっと言うとスポンサーさんが求めていることをやって。

そこでちょっと気持ちよくなってた。

でもでも本来僕がやりたかったのはお客さんを楽しませるの一点で。

出来るのならばどこにお伺いを立てるわけでもなくそれだけはやりたい。

でもそれを言い出したらテレビの仕事が回らなくなるからその気持ちにずっと蓋をしていたんですが。

今目の前でお客さんを楽しませるということに100%振り切ってる人たちがいると。

でどっちが先だったか忘れたんですけどもねそれと近い時期に見に行った立川志の輔師匠の落語。

そうだったんです。

少なくとも出囃子が鳴って支障が出て来られてて酒林かなるまでの時間。

そこにはですねお客さんを楽しませるの思いや時間が一秒もなくてそれに比べて僕はどうだって思ったわけですね。

もう本当にね見て欲しい。

志の輔師匠の落語なんでもいいから奈良でもいいガラガラとか最高だから。

本当にもらってでも今でも笑っちゃうわ。

どういう流れか分かりませんがガラガラはもうそこそこってないかもしんないですけど。

志の輔師匠がこういうやつが一番危ないっていう一言言うその一言が不倫して やりたかったなと思うんですね。

仕事としてやらなきゃいけない部分があるのは分かるし。

それは悪いことじゃないかもしれない。

それもわかってるでもでもいろんな人の目を気にしてバランスを気にして立ち振る舞うことに憧れてこの世界に入ったのかと聞かれるとそんなことはなくて。

やっぱり僕はお客様との島瀬卓てただそれだけの目的でこの世界に入ったんですね。

気がついたらそこからずいぶん離れちゃっていたなあと思うともうね泣けてきちゃって。

後藤ひろひとさんの舞台と志の輔師匠の落語の終演後ですね。

もう客席で涙が止まらなくなった。

子供の時に憧れた世界はこれだったそんなことがあった3日後ぐらいねタモリさんに飲みに連れて行ってもらって。

そこでお前は絵を描けと言われても今の活動に至るんですけども。

もちょうど気持ちが揺らいで 時にタモリさんの言葉が入ってきたんですね。

この三つぐらいの出来事が一週間2週間の間インプット集中したんですよ。

この話をね皆さんがどう対応するかはわかりませんが断言できる事が一つだけあります。

僕が泣いちゃったよろしそしてタモリさんに言葉を頂いた夜その瞬間を迎えるまでのこの5年間ぐらいかな僕はやっぱり誰よりも努力したしリクエストにも応え続けたんですね。

そして結果も出しました。

サボった事なんて1ミリもないんですがその上で違った。

もしかしたらどこかで無意識のうちに下方修正していたのかもしんない。

まだサボってたらね頑張らないとと思えるかもしれませんがサボってなんかいなくて結果も出しているのに違うということもあるので。

たくさんいろんなものを見ていろんな人に触れることをお勧めします。

今日はキンコン西野がないというテーマでお話しさせていただきました。

それでは出来ない1日をお過ごしください。

キングコングの西野亮廣でした。

じゃあまたね。

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