キンコン西野が味わった「人生のドン底」【Voicy文字起こし/西野亮廣エンタメ研究所 】

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ボイスメディアVoicyの「西野亮廣エンタメ研究所」チャンネルの文字起こしメモをしています。ほぼ写経のような感じでやっています。書き損じはご愛嬌で。

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あの時は辛かった…

どうもキングコングの西野亮廣ですお笑い芸人をしたり絵本作家をしたり国内最大のオンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所の運営をしたりしておりますこの放送は尾張旭市の神谷宗美さんの提供でお送りしますが皆さんどうもありがとうございます尾張旭市で合ってんのかな頭愛知県かどうかですよね先日ですねゴッドタンであまり結果出せなかったんですけどコンビニでテレビでのが苦手なんでそのゴッドタンでですねその昔あの梶原君が失踪したときの話をしたんですけれどもそれを受けてねもう少し詳しく聞かせてっていうコメント頂いたのでその質問にお答えしつつですね今日はちょっと思い出話をしたいと思いますあのキンコン西野が違った人生のどん底っていうテーマですねえっとですねうちの相方の 梶原君はですね失踪したことがあるんですけれどもネットで調べてみるとですね2003年2月足りますねこれ間違ってたらすいませんただその辺りであることは間違いないですね僕は22歳西暦で言うと三年目の時ですかね当時の状況をお伝えするとですねそれはもうめちゃくちゃで僕は高校卒業してねそのまま吉本の養成所 NSC とこに入ったんですねでそこで梶原君と出会ってコンビを結成したのは1999年の9月ですね入学と同時にまわし月2ですねコンビを組んでる人たちが多かったのでコンビニをスタートして少し遅れたんですけれども周りに比べると猫耳二たちょっと遅れたんですけどもただびっくりするぐらいのロケットスタートだったのは間違いないんです僕はの漫才とか行ったことがなかったしツッコミも 行ったことがなかったんですけれどもまあ梶原くんとやるんだったら漫才だろうしやっぱり自分はツッコミを担当すべきだと考えたんですねでコンビを組んで早速漫才を書いて言ったらこれが大当たりして初めて行った漫才でもめちゃくちゃ評価されたんですね10月の頭に中間発表会っていうその妖精女性が初めてお客さんの前でネタを披露するそれで大会があってイベントがあってその妖精場内での評価によってですね書き込みの持ち時間が30秒から2分に振り分けられるんですよ大体この米は30俵ですねただ僕達だけ3分の持ち時間を特別に頂いてしかもその通りだったね そこでも信じられないくらい受けてそれを見に来ていた吉本興業の社員3月シネマ特例でその翌週に控えてる吉本のオーディションライブに受けることを認めて下さったんですねこれ妖精女性 NSC 生は出れないやつなんです10月の中旬にオーディションライブに出演しました俺は毎週50組のプロの芸人が出演して国民ぐらいが残るのかなで月末にですね勝ち残った5組4セットだからま20組ぐらいでネタバトルをして上位3組が劇場のレギュラーメンバー10組を含めた入れ替え戦に参加できるのでそのオーディション組ですねキリンさんだったり笑い飯たとか散るよりさんいらっしゃったのかなもうちょっと時期は分かんないですけどもすごい先輩方がたくさんいてその時のその上にいる10組 レギュラーメンバーっていうのがブラックマヨネーズ何だったりフットボールあったりチュートリアルさんだったりロザンさんだったり今の吉本新喜劇の座長を務められている数値さんだったりそういった面々がひしめき合っていたんですけどもでもオーディション一次予選2次予選そして劇場のレギュラーメンバーの入れ替え戦を含むすべての回で優勝したんですよそんなこんなでトップで劇場のレギュラーメンバー入りしたわけですがこの時コンビを組んでまだ一か月経ってないんですね つまりネタのストックもなければコンビの関係も築けてないんですよでも時代はまわってくれなくて年をまたいで1月ですかねコミケしてから4ヶ月が経った時に出た NHK 上方お笑い大賞っていうですね芸歴10年までのプロの芸人がみんな参加する大会でこれまた優勝しちゃったよ 妖精が NSC 在学生がですねそういった大会で優勝するのは史上 ここからすんごい話題になって養成所を卒業する前にレギュラー番組を2本持たせてもらったんですねでその年にはですね関西の漫才師を一通り総なめしてで二十歳の頃にはねるのトびらがスタートするわけですがこの頃にはもうスケジュールはレギュラー番組で埋まってるって言う感じですねもうここだけ聞くとですね絵にかいたようなサクセスストーリーじゃないですか多分芸人だったら誰もが羨むような出世街道だったと思うんですよただ内容は全然そんなことなくて何が辛いってとにかくですね経験とネタのストックがなかったんですよ。 なので他は番組の収録中とかこの VTR 見てる途中とかひどい時はですね劇場の漫才をやってる最中にですねその夜のネタ番組でやるネタを考えるって言う地獄的な自転車操業でその上ネタ番組では超エリートみたいな紹介をされるわけじゃないですか速攻でまだどこにもかけたことがないちゃんと覚えてすらいないネタを披露するこんな毎日が続くわけないんですよねエリートの割には結果が出せない日々が続いてまた多くの芸人や間にファンからなんやねあいつらと思われていた上に単身で東京に出ていたもんですから相談する相手もいないと三年目に梶原君が玄関に来て疾走したっていう感じですね今だから笑い話ですがこの時の失踪っていうのはいわゆる行方不明で最悪の木ですが前で会ったっていう状況ですねこの辺のえぐい話を洗礼になりますが親戚の方に書いたので そちらご覧ください 出てすぐにキングコング活動休止っていう決定が出て僕らはたった1日でねレギュラー番組8本確保及びその他の全ての仕事を失ったんですね奇しくもはねるのトびらも一時期打ち切りしていた時ですねそうあまり知られてないですけど入って一回終わってるんですねただその期間中に出した DVD がべらぼうに売れてそれで数ヶ月後に復活したっていう感じですねこの全ての仕事を失った期間僕はというとですねこの期に及んでまだ元気なんですよ誰ここで僕がピンで活動してヘタに活躍しようもんなら丸くんが戻ってくる場所はないじゃないですかそこでマネージャーと話し合って待とうと判断するわけですがこの間ですね下手にバイトなんかしようものなら週刊誌に好き勝手書かれますからそれもできない昨日まで誰よりも売れてたやつが突然仕事を失って働けるのに働かないという状況に陥ってそんなの23歳の時に経験したんですがもうねこれ経験したら怖いもんなんて何 もないんですよそこ中のとこなんで家にこもってテレビ見るんですよこないだまでこんな会話があって言う泣けてきますよね何かしらのドラマにしてください西野亮廣物語持ってますこのときの経験と明らかにプラスになっていて仕事を失うスケジュールが白紙になるっていう事に対する恐れが一切なくなったもう1回お仕事失ったところでもといた場所に戻るだけの話ですねそれがあるから25歳の時にテレビの世界から軸足を抜くって判断ができたんだと思います絵本作家としてゼロからスタートしてみるかって言うと思えた25歳の時にだから復活してから2年ですねその頃は以前にも増してもびっくりするぐらい売れてたんですけどもそれを失うことに一切のためらいがなかったそれって異常だと思うんですよ当時のはねるのトびらの視聴率って毎週20%叩いて普通ならしがみつくはずですよでもそこで書く インしたのは自分には巻き返す力があるって言うことでもそれが確認できれば十分だった僕は速攻で地獄みてなかったらスケジュールが白紙になることを恐れるタレントになっていて今のようなまんじゃなかったんですね今ほぼニートなんですけども一ミリも焦らないで愚か素人のご飯もほとんどことは知ってるって言うクソ状態なんですけどもあの時地獄を味わってほんとよかったなぁと思うんですけどもそんなもん当時わかんないすよねなので今ね大変な目にあってる方もいらっしゃるかもしれませんがいい言葉言ってたんですよ人生はよりで見ると悲劇引きで見ると喜劇っていう長いスパンで見た時にそれは喜劇になるよっていう話ですねただそれには条件があるそれは気にすることを諦めないということですね どうやら人生っていうのはそういう気になっているみたいなので今大変な目に遭われてる方 どうか頑張ってくださいというわけで今日はですねキンコン西野が味わった人生のどん底っていうテーマでお話しさせていただきましたオンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所では毎朝コラムを書いておりますので興味がある方は覗いてみてくださいそれでは素敵な1日をお過ごしくださいキングコングの じゃあまたね


先日、「ゴッドタン」で、その昔、梶原君が失踪した時の話をしたのですが、それを受けて「もう少し詳しく聞かせて」というコメントをいただいたので、今日は思い出話をしたいと思います。

 

ウチの相方の梶原君は失踪したことがあるんですけど、ネットで調べてみたら「2003年2月」とあります。

間違ってたらすみません。ただ、その辺りであることは間違いないです。

僕が22歳(芸歴3年目)の時ですね。

 

当時の状況をお伝えすると、それは、もうメチャクチャで…

僕は高校卒業して、そのまま吉本の養成所に入りました。そこで梶原君と出会って、コンビを結成したのが1999年9月。

入学と同時にコンビを組んでいる人達が多かったので、コンビとしてのスタートは少し遅れたのですが……ただ、ビックリするぐらいロケットスタートを切りました(笑)。

僕は漫才をやったことなかったし、ツッコミもやったことがなかったのですが、梶原君とやるのなら「漫才」で、やっぱり自分はツッコミを担当すべきだと考えて、さっそく漫才を書いみると、これが大当たりして、初めてやった漫才で、メチャクチャ評価されたんです。

10月の頭に「中間発表会」という、養成所生が初めてお客さんの前でネタを披露する大会がありまして、そこでは、養成所内での評価によって持ち時間が30秒から2分に振り分けられていたんですが、僕達だけ特例で3分の持ち時間をいただいて、トリを務めました。

そこでも、信じられないぐらいウケて、それを観に来ていた吉本興業の社員が、またまた特例で、翌週に控えている吉本のオーディションライブに受けることを認めてくれたんです。

これ、養成所生は出れないやつです。

 

10月の中旬に、オーディションライブに出演しました。

毎週50組のプロの芸人が出演して、5組ぐらいが残るのかな?

そして月末に、勝ち残った20組でネタバトルをして、上位3組が、劇場のレギュラーメンバー10組含めた入れ替え戦に参加できる。

オーディション組には、麒麟さんだったり、笑い飯さんや千鳥さんもいらっしゃったのかな…とにかく、すごい先輩方がたくさんいました。

そして、その時の劇場のレギュラーメンバーというのが、ブラックマヨネーズさんだったり、フットボールアワーさんだったり、チュートリアルさんだったり、ロザンさんだったり、今、吉本新喜劇の座長を務められているスッチーさんだったり……そういった鬼々がひしめき合っていたのですが、オーディションの一次予選、二次予選、そして劇場のレギュラーメンバーの入れ替え戦を含む、全ての回で優勝したんです。

そんなこんなで、トップで劇場のレギュラーメンバー入りしたわけですが、ここまで……コンビ結成から1ヶ月経っていないんですね。

 

つまり、ネタのストックも無ければ、コンビの関係性も築けていないんです。

でも、時代は待ってはくれなくて、年をまたいだ、1月。

コンビ結成から4ヶ月が経った時に出た「NHK上方お笑い大賞」という芸歴10年までのプロの芸人が皆参加する大会で、優勝しちゃったんです。

養成所生が、そういった大会で優勝するのは史上初だったもんですから、すんごい話題になって、養成所を卒業する前に、レギュラー番組が数本持たせてもらいました。

その年には関西の漫才賞をひと通り総ナメして、20歳の頃に「はねるのトびら」がスタート。

この頃には、もうスケジュールはレギュラー番組で埋まっている感じです。

 

……絵に描いたようなサクセスストーリーじゃないですか。

たぶん、芸人だったら、誰もが羨むような出世街道だったと思うんです。

ただ、内情は全然そんなことなくて、何がツライって、とにかく「経験」と「ネタのストック」が無い。とにかく無い!

番組の収録中や、ひどい時は劇場で漫才をやっている最中に、「その夜のネタ番組でやるネタを考える」という地獄的な自転車操業で、その上、ネタ番組では「超エリート」みたいに紹介される始末。

そこで、まだ、どこにもかけたことがない、覚えてすらいないネタを披露する……そんな毎日が続くわけがないんです。

「エリートのワリには結果出せない日々」が続いて、また、多くの芸人や芸人ファンから「なんやねん、アイツら」と妬まれていた上に、単身で東京に出ていったもんですから、相談する相手もいない。

 

で、3年目に梶原君が限界にきて、失踪したんです。

今だから笑い話ですが、この時の失踪というのは、いわゆる「行方不明」でして、最悪のケースが全然あった、という状況です。

このへんのエグイ話は、宣伝になりますが「新世界」という本に書いたので、そちらをご覧ください。

 

https://nishino.thebase.in/items/27287819

 

 

 

すぐに「キングコング活動休止」という決定が出て、僕らは、たった1日で、レギュラー番組を8本か9本…および、その他の全ての仕事を失いました。

くしくも、「はねるのトびら」も一時期打ち切りしていた時です。

(※あまり知られていないですけど、「はねるのトびら」って、一回終わってるんです。ただ、その期間に出したDVDがベラボーに売れて、それで、数ヶ月後に復活したんです)

 

全ての仕事を失った期間、僕はというと……この期に及んで、まだ元気なんですよ(笑)

ただ、ここで僕がピンで活動して、下手に活躍しようもんなら、もう、梶原君が帰ってくる場所が無くなるじゃないですか?

そこでマネージャーと話し合い、「待とう」と判断するわけですが、この間、下手にバイトなんかしようものなら、週刊誌に好き勝手書かれますから、それもできない。

昨日まで誰よりも売れていた奴が、突然仕事を失って、働けるのに働けないという状況に陥って…そんなのを23歳の時に経験しました。

もう、これを経験したら、怖いものなんて何もないですよ。

ドン底中のドン底なので(笑)

 

家にこもって、四六時中、テレビを観るんです。

「俺、こないだまで、この中にいたよな」という…泣けてきますよね(笑)

何かしらのドラマにしてください。西野亮廣、いい物語を持っています(笑)

 

ただ、この時の経験は、明らかプラスになっていて、「仕事を失う」「スケジュールが白紙になる」ということに対する恐れが一切なくなった。

もう一回失っているんで、今ある仕事を失ったところで、元いた場所に戻るだけの話です。

 

それがあるから、25歳の時に、「テレビの世界から軸足を抜く」という判断ができたんだと思います。

「絵本作家として、ゼロからスタートしてみるか」と思えた。

25歳の時だから復活してから2年ですね。

その頃は、以前にもまして、もうビックリするぐらい売れているんですけど、それを失うことに一切の躊躇いがなかった。

それって異常だと思うんです。

当時の「はねるのトびら」の視聴率は毎週20%叩いているんで、普通なら、しがみつくハズですよ。

でも、そこで確信したのは、「自分には、巻き返す力がある」ということで、もう、それが確認できれば十分だった。

 

あそこで地獄を見ていなかったら、僕はスケジュールが白紙になることを恐るタレントになっていて、今のような毎日はなかったんです。

今は、ほぼニートなんですが、1ミリも焦らないどころか、仕事のオファーはほとんどお断りしている状態です。クソです(笑)

あの時、地獄を味わって本当に良かったなぁと思います。

でも、そんなもん、当時は分からないですよね。

 

なので、今、大変な目に遭っている方もいらっしゃるかもしれませんが、チャップリンが良い言葉を言っていましたよ。

「人生はヨリで見ると悲劇、ヒキで見ると喜劇」だって。

長いスパンで見た時に、それは喜劇になるらしいです。

ただし、それには条件がある。

それは「喜劇にすることを諦めない」ということです。

頑張ってね。

僕も頑張る。

 

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