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2019年8月31日(土) ※9月2日以降は『いいね』を押さないでください。
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おはようございます。
ついに、『YouTuber』と『90番』の響きが似ていることに気がついてしまったキングコング西野です。
さて。
昨日の記事の続きです。
(※昨日の記事を読まれていない方は、先に昨日の記事を読んじゃってください)
https://kagg.info/entertainment-lab_20190830/
『エンタメ研究所』と銘打っているので、本来、一般のお客様が考えない“エンタメの裏側”についても深掘りしていこうと思っているのですが、目の前に出されたエンタメを分析するときに、「このエンタメが何を手に入れて、何を諦めたのか?」という切り口で見ていくと、結構面白いです。
たとえば、映画『君の名は。』(ていうか新海誠監督作品)は、アニメーションながら、物語の舞台を現実に寄せているので、その後の展開として『聖地巡礼』というコンテンツを手に入れて、その周辺の企業とのコラボを手に入れています。
登場人物の造形を現実に寄せているので(※「ピカチュウ」ではなく「瀧くん」)、「登場人物に感情移入しやすい」というのも手に入れています。
一方で、テーマパークやVRなどの『非日常空が間体験できるコンテンツ』を諦め、『グッズ収益』を“ほぼほぼ”諦めています。
『君の名は。』が大大大好きな僕でも、瀧くんの顔がプリントされているTシャツは要りません。
ティム・バートンの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』や、それこそ『えんとつ町のプペル』なんかは、その真逆だと思います。
くれぐれも、ここでは「どっちの方がいいのか?」を言及しているわけではなくて、「そのエンタメが何を手に入れて、何を諦めたのか?」という話をしています。
『新世紀エヴァンゲリオン』は、物議を醸す設定により、三谷幸喜作品ばりの『読後の爽快感』を諦め、その代わりに「あれは、どういう意味だったのだろう?」という『読後の議論』を手に入れています。
多くのエヴァンゲリオンファンは、“作品を観ている時間”よりも、“作品について議論している時間”の方が長いはずです。
実にアート的な構造ですね。
んでもって、クリエイターと呼ばれる人達は、これらを「マグレ」ではなくて、自覚的に行動し、「俺たちはあの山に登ろう」と覚悟を見せつけ、分かりやすい旗を振り、ファンを作り、その後の展開までキチンと設計できる能力を持ち合わせておかなければ生き残っていけません。
映画『えんとつ町のプペル』のストーリーは「親子愛」と「友情」を手に入れて、「恋愛」を諦めています。
んでもって、ここが僕の少し欲張りなのところなのですが、「家族で観に行ける作品」を徹底しているので難解なストーリーにするつもりは微塵もありませんが、「上映時間の1時間半だけ楽しませて、はい、サヨウナラ」にするつもりもなく、上映後の議論が盛り上がるようにしようとしています。
作品の中に、ボケーっと見ていたら気づかない「議論の種」をコッソリと仕掛けています。
たとえば、劇中に出てくる金髪の『ドロシー』。
彼女には青髪の占い師の『クレア』という双子の姉がいます。
占い師のクレアは回想シーンで少しだけ出てきます。
ドロシーは、「星」の存在を決して認めない異端審問所から圧力がかかる中、それでも「星」を探しているプペル(ゴミ人間)やルビッチに力を貸してくれます。
https://gamp.ameblo.jp/nishino-akihi…/entry-12392720861.html
この町で、プペルやルビッチに手を差し伸べることはリスクでしかないのですが、それでも彼女はプペルやルビッチと一緒になって戦ってくれます。
ボケーッと見ていたら、「ドロシーってイイ人」という感想で終わるのですが、注意して観ている、“ドロシーがここまでプペルやルビッチに肩入れしてくれた理由”が気になります。
ヒントは「異端審問所は星の存在を絶対に認めない」ということと、もう一つ。
映画の「エンドロール」です。
エンドロールでは、すべてが解決した“その後の世界”で、金髪だったドロシーの髪の色が青色になっています。
ドロシーは何故そこまで主人公達に肩入れしてくれたのでしょうか?
彼女にどんな物語があったのでしょうか?
コメント欄で答えが出れば、正直に「正解」と言って、何かイイモノをあげます。
答えが出なければ、いつかサロンメンバーだけに答えをお教えします。
考えてみてください(*^^*)
現場からは以上でーす。